「つるりん」とわたくし。

 「つるりん」っていうハンドルネームとの付き合いも10年以上になるわけで。他のどんな呼び名よりも馴染みが深いこの名前の由来を簡単に。
 そもそも「つるりん」っていうのは私の名前じゃなかったのよ。結婚前、むーかしからの友達と一緒に横浜博覧会(って1989年だったらしい)に行った時、お土産屋さんを見ていたら、名前の後に「ちゃん」じゃなくて「りん」をつけた缶バッジが売ってるのを見つけ、お互い自分の名前とか彼氏の名前とか探して遊んでた。友達も私も、自分自身の名前は売るほどあるものなので瞬時に見つかった。が、彼氏の名前はというと、当時友達は「レナード」という名前の外人さんとお付き合いしてて、もちろんそんな名前はあるわきゃない。私は私で、当時の彼氏、すなわち旦那の名前「あきら」ってのは見つけたけど、「あきらりん」って語呂が悪すぎ。「『レナりん』っていうのがあれば買うのに」「『つるりん』はないのかなぁ」なんて話をして笑ってた。以降、友達は旦那のことを「つるりん元気ぃ〜?」なんて言うようになったワケ。
 というわけで、もともとは友達と私の間で旦那のことを指す愛称だった「つるりん」がなんでまた私のものになっちゃったかというと、結婚して私も「鶴」になった後で、ラジオの番組にリクエストを送る際にふと思いついてFAXネームとして使ったのが始まり。
 当時会社では毎日TOKYO-FMを聴いてた。平日夕方、赤坂泰彦氏の番組があって、とんでもない選曲アリ、仕事中に聴くには面白すぎるしゃべりアリで結構好きだった。赤坂さんってーと、今はいろいろなテレビ番組に出てたりするけれど、当時はあまり露出しておらず、どんな人かわかんなかったわけですね。ある日、とあるテレビ番組に出演した赤坂さんを見かけて、結構格好いいぢゃんと思ってしまったのでした。翌日、赤坂さんの番組に「テレビで見た赤坂さんに一目惚れした人妻です(笑)」なんかいうFAXを送ったら、パートナーの女性がそのFAXを読んでくれた。読まれた瞬間すでに動揺してたとこに、赤坂さんがそりゃもう渋い声で「奥さん」なんか言うもんだから思わず持ってたマグカップを取り落としたりなんかして。それ以来、「つるりん」は私のFAXネームと相成ったわけです。
 そんなこんなの経緯があって、個人でパソコン通信を始め、ハンドルネームを何にしようかと考えた時に「いいやFAXネームと一緒で」と安易に決めたのが「つるりん」でした。ただの思いつきで決めたハンドルネーム。始めたばっかりの時には「オフ会」なんてものの存在もあんまり意識したことがなかったから、生で「つるりん」なんて呼ばれる日が来るとは思いもしなかったし、まさか四十路の声を聞こうかという昨今まで長く付き合うことになる名前とは想像だにしなかった。
 って、まったく「簡単」じゃない気もするが(^^;。

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「パソコン」とわたくし。

 大学生の頃、CASIOのMSXパソコンを持ってた。カートリッジを買ってきてゲームをやったり(「団地妻の誘惑」とかいうゲームも持ってたぞ。避妊具のセールスマンが団地を回って避妊具を売ったり、団地妻やっちゃったりするヤツ(笑))、「MSXマガジン」とかに載ってたプログラムをちまちま入力して遊んだり、「BASICプログラミング入門」みたいなのを見ながら画面に円を描いたり音を鳴らしたりなんかして遊んでた。これが私とパソコンとの出会い。

 大学を卒業し、最初に入った会社はコンピュータのソフトウェアの流通の会社。そこで編集部に配属された私に与えられたのは、当時でも最新とは言いがたかった(というか当時にしても非力だった)PC-9801E。ハードディスクなし、8インチフロッピーディスク付きのそのマシンで私はソフトウェアの使い方を覚えた。といってもそれで使ったのはせいぜいワープロ(「一太郎」と双璧をなしていた、と私は信じていた「松」)と表計算ソフト(Lotus1-2-3)ぐらいだったけどね。
 入社後3〜4ヶ月して、今度はPC-9801VMが与えられた。上司が辞めてそのお古が降ってきたのだった。40MB(メガですぜ、メガ)の外付けハードディスク付き。そこに「SELEX」というメニューソフトを入れて、「松」だ、「桐」(日本語データベースソフト)だ、dBASE(リレーショナルデータベースソフト)だ、「エコロジー」(書いてて懐かしい。マイクロデータというところが出してたファイル管理ユーティリティ)だ、なんてなものを切り替え切り替え使ってた。懐かしや〜。
 もちろん当時使ってたOSはMS-DOS。その会社を1年半勤めて辞める頃にはWindowsも発売されていたけれど、そこで必然性に駆られてちょっと触ったぐらいで、実際Windowsマシンを日々使うようになるのはまだまだ先のことだった。

 新卒で勤めた会社を辞めた私は、私よりも先に退職し、フリーで編集の仕事をやっていた元上司を手伝い、パソコン系のマニュアルやら単行本やらの編集に携わることになる。で、そんなこんなの仕事の関係でEPSONの98互換機(初代PC-386かなんかだったか)をメーカーから借用。自宅での原稿書き、原稿整理に使ってた(うんわ、初代386あたりだと、ハードディスクなしモデルでも60万近くしたのか(^^;;;)。
 91年に結婚して、同時に2001年まで在籍してた編集プロダクションに就職。最初は自宅にあったEPSONマシンを使ってたのかしらん。ちょっとそのあたりの記憶が曖昧なんだけど。その後、PC-9801DA、PC-486GF、Windows 95が発売されてから今は亡きDECのPenteiumマシン、それが壊れて自作機(私が組んだんじゃないから他作機か)と遍歴を重ねた。

 自宅では、結婚した時に旦那が持ってきたPC-9801RXを使用。パソコン通信やらなにやらもこれでやってた。その後、95年頃に富士通のDESKPOWER-S(CPUはi486DX4/100MHz)を購入して、でもやってたことといえばパソコン通信ぐらいか。でもこれらの2台は、いずれも旦那と共用してたから、ホントの意味で「自分だけのマシン」って感じはしなかった。

 ホントの意味での「自分だけのマシン」は、父親が買ったもののWindows 95搭載マシンが欲しくなって私にくれたPC-9821Ld。B5サイズのノートパソコンで、CPUはi486SX/33MHz、メモリ7.6MB、HDD 350MBという代物だった。Windows 95をインストールするのも物理的には不可能じゃなかったんだろうけど、メチャメチャ重たくなって使えたもんじゃなかっただろうと思う。ということで、Windows 3.1のまま99年まで使用。よく使ったよなー。これ+144モデムのままで99年までインターネット接続してたっていうんだから、我ながら根性あると思う。なんだかんだいって結構可愛がった。

 そんなこんなのPC-9821Ld、ディスプレイがチラチラしたり、トラックボールの調子が悪くて、時々マウスカーソルが上下または左右にしか動かなくなったり、エンターキーを外したらうまく押せなくなっちゃったりと、さまざまな不具合が重なり、どうしたもんかと思ってたとこに入ってきたパソコンショップの広告。閉店セールってことで、東芝Dynabookが169,800円で売ってた。スペック的にもまぁ私には十二分だったし、出かけるついでに覗いてみようと思って行ってみたら、店頭にブツが並んでいない。台数限定とのことだったので、もう売り切れちゃったのかと一瞬焦った。この焦りが私の購買意欲に火をつけた、らしい(笑)。「チラシのこのノートPC、まだありますか?」と店員さんに聞いてみたら、「ありますよ」との返事。次の瞬間、わたくし、反射的に答えてました。「それください」と。PC-9821Ldに比べればまぁ速いのなんのって。56Kモデムも内蔵されていて、やっとこさ快適にインターネット接続もできるようになった。

 結局これは4年近く使ったのかな。普段使うのはブラウザ、メールソフト、エディタ(ってHTMLエディタではなくただのエディタ。HTMLに関しては「男は黙ってエディタで手書き」が信条です。男じゃないですけども(^^;)、ファイラ、PaintShopPro、駅すぱあと、せいぜいそんなもんなので、たいしてマシンパワーが必要なわけじゃない。貧乏だったし、あと2〜3年はこのまま引っぱるかなと思ってたんだけど、去年の夏ぐらいからディスプレイを開け閉めする時にパキョとかカキョとかいう音がするようになった。そのうち音はしなくなったけど、今度は大きく開きすぎるとパタッとそのまま180度倒れちゃうようになった。まぁ大きく開きすぎなきゃいいだけのことと思って使い続けていたんだけど、その影響でしょう、今度はディスプレイの表示がおかしくなった。時々画面が反転して見えなくなっちゃうのよ。最初はごくたまにだったのが、徐々に頻度が上がり、毎日のように起こるようになった。
 困った挙げ句に買ったのが、今使っている東芝dynabook C7(CPUはモバイルCeleron 1.2GHz)。パールホワイトのなかなか愛らしいヤツです。

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