spacer spacer spacer 2003年ニュースフラッシュ(国内編) spacer spacer spacer

★ツール・ド・おきなわリザルト

 公式サイトにリザルトが載ってました。とりあえず男子チャンピオンレースのみ掲載しときます。その他のレースのリザルトを知りたい方はツール・ド・おきなわオフィシャルサイトをご覧ください。
 それにしても、路面がかなりスリッピーだったようで、落車事故が多発したレースだった。特に大きかったのは、トンネルの中での落車事故。60km/hほどの高速で走行していた集団のかなり前の方で発生し(集団で8番手ぐらいの位置にいた福島晋一選手も巻き込まれて落車)、しかも路面に油が浮いていてメチャメチャスリッピー。後続の全員(!)が落車したそう。出場者100人強のレースで完走34人というのがその壮絶さを語っていると思う。いやはやなんとも…。 (2003年11月10日)

順位名前チームタイム
1岡崎 和也日本鋪道4.54.45
2MUNOS Guillemオルベア・エチェオンド0.11
3MCCORMACK Markアメリカナショナルチーム
4真鍋 和幸ミヤタスバル
5阿部 良之シマノ1.08
6WONG Kam Po香港ナショナルチーム
7MCCANN Davidアイルランドナショナルチーム2.10
8日置 大介CCD・キナン2.25
9田代 恭崇ブリヂストン・アンカー2.35
10福島 晋一ブリヂストン・アンカー2.38

★ツール・ド・おきなわ速報その2 落車事故その後

 レース中の落車事故で病院に搬送された選手のうち、CCD・キナンの三浦恭資選手、ミヤタスバルの三船選手、綾部選手の3選手の怪我の状態についての情報をゲットしたので掲載しておきます。
 まずCCD・キナンの三浦恭資選手。左太ももを打撲し、股関節の痛みを訴えているものの、本人メチャメチャお元気とのこと。ホッと一安心。
 ミヤタスバルの三船選手。落車した当初は、脛に拳大の膨らみがあり、骨折が疑われたものの、ベッドがないと病院を追い出され、ゴール地点に姿を現し、普通に歩いてたそうな。栗村監督の「あんたはスーパーサイヤ人か?」のコメントに思わず笑う。この人達のやり取りは面白すぎだ(^^;。
 むしろ重症だったのは綾部選手の方。骨盤骨折で1ヶ月の入院生活を強いられることになってしまったそう。そんなだったのかぁ(;_;)。
 それにしても、やっぱりチームの監督には手が6本や8本は生えてるような気がしてならない。どうもチームカーには一人しか乗ってなかったようなのに、え? テキストライブ? 後で見たらチームカーから撮った写真も載ってるよ? どうなってるんだ、いったい(^^;。 (2003年11月9日)

★ツール・ド・おきなわ速報その1 日本鋪道の岡崎和也優勝

 2003年11月9日に行なわれたツール・ド・おきなわの速報を、ミヤタスバルレーシングチーム、CCD・キナンのサイトあたりから得た情報を元にさくっと掲載。
 今日はUCI 1.5クラスの男子チャンピオンレースに加え、女子国際レース、市民レース、沖縄本島一周サイクリング、マウンテンバイクツーリングなどなど、そりゃもうさまざまなレース、催しが行なわれた(あ、サイクリングあたりは現在進行形か)。そのためか、スタートがメチャメチャ早い。午前7時スタートって選手達は何時に起きればいいんだ!と思っていたら、ミヤタスバルレーシングチームの選手達は午前4時起きだったそうです。はやっ! と、余計な情報はこっちに置いといて(^^;。
 今日の天候は雨降り。時折、バケツをひっくり返したような雨が降ったりしてたよう。そんなこんなで幸か不幸か気温が低く、序盤からハイスピードなレース展開となった。雨のせいか落車が多かったよう。ミヤタスバルレーシングチームの三船選手が2度の落車でリタイヤ。病院へ搬送されたとのこと。また、三船選手と同じ落車なんだかそうでないんだかは不明だけれど、トンネル内で30人ほどが巻き込まれる大きな落車が発生。CCD・キナンの三浦恭資選手もこれに巻き込まれ、救急車で搬送。キングについては股関節打撲、頭には異常なしとの情報を得ております。
 残り20kmほどのところでアメリカナショナルチームのマーク・マコーマックが逃げ、追いついた岡崎和也(日本鋪道)、ミュノス(Team ORBEA エチェオンド)、真鍋和幸(ミヤタスバルレーシングチーム)の4人で先頭集団を形成。そのまま平坦でのゴール勝負と相成った。ゴール勝負を制したのは日本鋪道の岡崎和也。以下、ミュノス、マコーマック、真鍋の順でゴール、だそうです。 (2003年11月9日)

★ジャパンカップサイクルロードレース2003

 第12回ジャパンカップサイクルロードレースを観に行ってまいりました。日頃の不勉強そのままに、外国のチームの選手の顔見ても誰が誰だかさっぱりわからん体たらく(^^;。フリーランが行なわれた25日にサインをもらいに走ってみるも、結局誰にもらったのか、それが誰のサインなのかさっぱりわからないままに帰ってまいりました。見て読めたのなんてパオリーニのぐらいだ。いかん。まだまだこの世界ではお子ちゃまだわ。
 …ってなどうでもいい話はいずれ他のページで触れるとして(旦那が死ぬほど写真を撮っていたので、そんなのもそのうち掲載できるかと)、大まかすぎる展開とリザルトを掲載しておきます。

2003ジャパンカップ ちとブレたプロトン
 心配していた台風の影響もなく、レース当日は朝から青空が広がっていた。日がかげると一気に涼しくなるけれど、日なたにいたり歩き回ったりすると汗ばむぐらいの気候だった。
 宇都宮市森林公園周辺の一周14.1kmの周回コースを10周回し、ラスト一周はショートカットの10.3km、合計151.3kmを争うこのレース、海外からディフェンディングチャンピオンのセルジョ・バルベーロを擁するランプレ、サエコ、クイックステップ、ビアンキ、コフィディス、ジャンドゥラトゥールの6チーム、国内ではJCPA、日本鋪道、ブリヂストンアンカー、オルベア・エチェオンド、シマノレーシング、愛三工業レーシングチーム、ミヤタ・スバルレーシングチーム、スミタ・ラバネロ・パールイズミ、CCDキナン・バイクシステムの9チーム、計15チーム74名が参加した。
 スタートは午前10時。スタート直後から日本人選手が積極的にアタックした。1周終了時点でJCPAの福島康司、シマノの野寺秀徳、キナンの日置大介、愛三工業の江下健太郎、同じく愛三の坂口博の5人の逃げが決まっていた。集団とのタイム差は約1分半。先頭集団から坂口、江下が脱落し、残り3人で逃げ続けた。積極的に先頭を引いていたのは福島康司。一時は5分近くまで差を広げるが、いざ集団が本気で追いにかかったら、その速さは半端じゃなかった。あっという間にタイム差が縮まり、残り3周で逃げの3人は集団に吸収された。
 あとは海外チームの選手のアタック合戦。サエコのグロムザー、クイックステップのマイケル・ロジャース、サエコのスペツィアレッティらが次々アタックするも、いずれも決まらず。
 ラストの周回でクイックステップのパトリック・シンケヴィッツ、コフィディスのグィド・トレンティン、ランプレのバルベーロの逃げが決まり、最後はスプリント勝負に。ラストはバルベーロが悠々とゴールし、ジャパンカップ2連勝、3度目の勝利を物にした。2位には同タイムでクイックステップのシンケヴィッツ、コフィディスのグィド・トレンティンは2秒差の3位。以下、ビアンキのガルシアカサス、コフィディスのアティエンサ、サエコのクネゴ、グロムザーと続き、第10位にブリヂストンアンカーの田代恭崇が入った。
2003ジャパンカップ 表彰台
 また、スタート地点から約2kmの地点にある最高地点、古賀志林道分岐点には3周目、6周目、9周目に山岳賞が設定されていた。山岳賞をゲットしたのはそれぞれ日置大介、野寺秀徳、グィド・トレンティンだった。
 余計な情報としては、出走のサインを行なう時から「神風」のはちまきをしていたクイックステップのルカ・パオリーニが、第21位でゴールする際、ヘルメットをずらしてはちまき見せてゴールしたのがとても印象的(笑)。どうでもいいが、パオリーニと一緒にトップから5分半以上経ってからゴールしたマイケル・ロジャース。優勝予想してたんだけど…。

 25日に行なわれたオープン女子では、ファームフリッツの沖美穂が6連覇。また、オープン男子では去年2位で涙を飲んだチームブリヂストン・エスポワールの清水裕輔が涙の初優勝。インタビューで声を詰まらせていたのが印象的でした。 (2003年10月26日)

順位名前チームタイム
1セルジョ・バルベーロランプレ4.03.56
2パトリック・シンケヴィッツクイックステップ
3グィド・トレンティンコフィディス0.02
4フェリックス・ガルシアカサスビアンキ0.21
5ダニエル・アティエンサドミナヴァカンツェ
6ダミアノ・クネゴサエコ0.41
7ゲーリット・グロムザーサエコ1.02
8マレク・ルトキエビッチコフィディス1.03
9アレッサンドロ・スペツィアレッティサエコ1.05
10田代恭崇ブリヂストン・アンカー1.29

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